明日には忘れるなにかについて

天野くにひろのブログです

ゼブラの縞で編んだ鳥籠

はっきり言って俺の部屋は悪趣味だ。

 

白と基調にした家具までは良い。カーテンがゼブラ柄なのだ。クッションは白に金の糸が混ぜられたファーのカバーがかかっている。

 

もともとは俺の部屋のカーテンとクッションカバーも紺の無地に統一された上品さを意識した部屋だった。お気に入りだった。

 

しかしこの上品な印象の部屋の中で、自分だけが浮いてしまっているような感覚に襲われるようになってしまい、気がつけばすっかり抗不安薬睡眠薬の乱用が常習化していた。

 

旧知の仲の知り合いからすると、かつて俺は好きに生きている自由人に見えていたらしい。でも実際はそうでもなかった。扉を開ける音が少しでもしようものなら無職の父親に怒鳴り散らされて、精神をすり減らしていた。

 

実家時代から市販薬の乱用を頻繁に行いながら明日を見つめる努力をした。高校時代にはなかなかイカれた仲間と集って家庭の愚痴をこぼしあい、傷の舐め合いをした。

 

フリーターになってぷっつりその仲間とも縁が切れてしまい、俺の真の家庭状況を知る人間はいなくなり辛さが増した。自殺未遂を繰り返し、その度に病院のベッドの上で指も動かせす朦朧とする意識の中で嫌味を言われた。

 

23歳の4月に本当に本当に限界がきて、死なないのならせめて実家から離れたいと思い一人暮らしを借金をこさえて無理矢理始めた。

 

母親には、あれだけ迷惑をかけておいて出て行きますとはどんな精神をしているのか、と文句を言われた。元凶である父親には、やっと出ていくのか、とだけ言われた。

 

家を出てから1年と少し経つ。母親とは仲直りができたが、父親とは完全に縁が切れた。

 

一人暮らしを始めてしばらくは良かったが、白と紺色の部屋の中で、自分はやはり生きているべきではない、と苦しみのたうちまわる日々に切り替わった。心身を壊して仕事も辞めることになった。

 

その時に思い出したのが、高校時代に交流のあったギャル男だった。ヴィジュアル系をこよなく愛すナチュラルハイの職質常習犯。彼の部屋は汚くて家具や小物のデザインなどもはや頭に残っていなかった。唯一覚えているのは、布団のシーツがゼブラ柄だったことだった。

 

俺は自転車に乗ってドン・キホーテへ走り出していた。ゼブラ柄の布団のシーツはなかったが、カーテンなら見つかった。布団のシーツも家具とカーテンの色味に合わせて紺色から黒色に変えた。

 

それからというもの、俺の精神は少しばかり安定した。ネット上の友達の助けもあり薬物乱用からも遠ざかり、俺は大好きなことの1つだった読書に再び集中できるようになり、先日ついに正社員への糸口をつかむことにも成功した。

 

10年前に俺を助けてくれたギャル男は、10年経った今、再び俺を助けてくれた。彼とは連絡がつかないが、また会えたら真っ先に嫌がる彼にキスしてやろうと思う。