明日には忘れるなにかについて

天野くにひろのブログです

もしも人形になれたなら

太宰治の熱狂的なファンであるお客と話をした時に言われた言葉だ。

 

「あの人(太宰治)ったら酷いのよ、私が産まれる前に他の女と心中しやがったの」

 

まるで自分の彼氏に浮気をされたうえ捨てられた女の発言である。

 

俺はなんだか驚いてしまって

 

「とんだ災難でしたね」

 

としかお答えできなかった。

 

桜桃忌にも墓参りに行かれるような熱心なファンの方だが、作品だけでなく太宰治の顔も大好きだとおっしゃっていた。たしかに彼はメンヘラだがイイ男だ。

 

でもよくよく考えたら俺にも『俺をおいて消えた芸術家』に該当する人物はいる。

 

『パーム・ルージュ・マリリン』という方だ。俺はミュージシャンとして認識しているが、幅広く活動されている時期もあったようである。

 

俺とマリリンの出会いは12歳の頃まで遡る。親が世に言うサブカルにどっぷり浸かっており、そういった英才教育を施されたおかげでさみしい幼少期を過ごすはめになった苦い思い出が蘇る。

 

そんなとある夕方、母親が押入れから引っ張り出してきたCDにより、俺の人生の路線は決まった。

 

「くにひろ!これはとてもいいもの!絶対に気に入るはず!」

 

そう熱く語る母親の手には、有機生命体の『マリリンとウミガメスープ』のディスクが握られていた。

 

初めて聞いた時の凄まじい衝撃を俺は忘れない。ボンデージに身を包んだパーマヘアのマリリンが歌う曲は、当時の俺にはどれも刺激的なものだった。

 

それからというもの、ボンデージは私服では着られないので少しばかり雰囲気の似たゴシック系の洋服を纏うようになった。まわりの人間は厨二病が始まったと思っただろうが、特殊な能力に目覚めた設定などは持ち合わせていなかった。

 

ただ、ただ、マリリンの纏っていたボンデージの黒の美しさと、ボンデージが持つ心からの信頼からなる主従の強さを、人形のようや長く美しいパーマヘアに留めていたリボンの可愛らしさを、幼少期の儚さのような拙く愛らしい声を、みんなにも知って欲しかった。

 

マリリンのボンデージの短いスカート姿が大変に好みだったので、俺もゴシックを感じるデザインのスカートを着用した。黒ツイード地のミニスカートにパニエとドロワーズを仕込んだ。今思えばマリリンに傾倒した男の娘だった。

 

高校生になってからはニーハイ丈のヒールブーツやガーターソックスを着用するほど熱が上がってしまい、思い出すと少し気恥ずかしい。もしかしたら俺には女装嗜好が少しばかりあるのかもしれない。

 

俺もここまで虜にしたマリリンはその時、随分長い闘病生活を送っていた。酷い鬱病だったようだ。ブログで稀に近況報告がされていたが、2013年2月24日を最後に更新が途絶えた。

 

今もたまにブログを覗きにいくがやはり更新はない。もうステージには戻ってこない気がする。残念だが、もし幸せに生きていてくれるならそれでいい。結婚したような噂も聞いた。

 

アレコレやらかしましたが、俺も25歳になりました。もしステージに戻る日が来たら飛んでいきます。末永くお幸せに。永遠にお幸せに。とこしえの愛を貴女に。くそったれな世の中で生きる糧を与えてくださったこと、感謝します。