明日には忘れるなにかについて

天野くにひろのブログです

人生、勝手にしやがりたい

「俺は自分の容姿嫌いじゃないです。あの遺伝子情報からこの容姿が完成したというなら上出来中の上出来だと思いますので」

 

俺は容姿の話になると、この言葉を口癖のように言う。でも同時に付け加える。

 

「あぁでも、なれるなら羽生結弦かディーンフジオカになりたいです」

 

こうすることでナルシスト路線からギャグ路線にすりかえることができるからである。

 

実際、自分は自分の顔にわりと満足している。とびきり美しくはないけれど、特段悪くもない。

 

親戚で一番好きな方がいて、俺はこの親戚と容姿が一番似ている。好いた人に容姿が似ているのはなんだかんだ言っても嬉しいものである。

 

その親戚は面白い。

 

「よく大人は子供の頃に戻りたいって言いますけど、あなたは戻りたいですか?」

 

と俺は問うた。

 

「絶対やだ。大変だったもん。今までの人生と同じ獣道をもう一度攻める元気残ってないもん。」

 

「努力なさったんですね」

 

「俺はいつだって全力だ。ベストだ。今世は一度きりだ。」

 

興味がない科目は勉強しなくて赤点だったし、世間のいうマナーすら興味の対象外だったけれど、この言葉を聞いてから、少しでも興味を持てそうなヒモが目の前に垂れてきたらつかんで見ることにした。

 

でもやはり俺は勉強が得意ではないので、容姿の向上に力を入れることにした。これもあまり成果が出ているとは言えないが。容姿がよければいつまでもとびきり愛される、それが間違った考えだとは分かっている。しかし知識量では親戚に追いつけなくとも、せめて彼のようにいつまでも若々しく健康的でいたいような気がしてきたからである。

 

来世に期待を投げつけて今世を退廃にかけた日々、根拠のない来世という存在への期待をやめ今世にかける日々。俺にあっているのは果たしてどちらなのか。

 

800文字使ってグダグダと述べたが、最終的に俺は愛されたらどちらでもいい気がしてきた。愛はとこしえではない。せめてその愛が、長く俺の上に降り注ぎますように。